title pic Amaltiaの方針

Posted on 2008年12月5日
Filed Under: 魂の記憶〜Amaltia Blog Amaltiaのこと

かれこれ20年くらい前の事
その当時の数少ない・・というか一人しかいないスピリチュアル仲間と、あるチャネラーのワークショップに参加しました

(よく「私には精神世界について色々話せる友達がいないんです」という相談を頂きます 私もそうでした 最初はひとりでした やがて思い切って友人に話し、反感を買ったり誤解がありながら、少し時間をかけてだんだんに言葉が通じるようになっていったものです 懐かしい
もしも、話せる人がいないと孤独を感じている方がいらしたら、何かしらのアクションを起こしてみて下さい そこから扉が開くものです ←これについてはまた後日)

さて、そのワークショップは実に楽しいものでした
チャネラーはとある有名なチャネラーの通訳もこなしている方で、気さくで、でもやはりしっかりとした「自分自身」を持っている方でした
そしてなんと言っても「普通」の人だったのです

その彼がワークの合間のおしゃべりで言いました
「たまにさ、もう死んじゃおうかな〜なんてね 思うよ 今でも」と
それを聞いて「ああ、すごい人だなと思ったけど、この人も普通にひとりの人間なんだな」と思い、親近感を感じ、勇気づけられたものです
そして「普通の人だけど、でもやっぱりなんか良いな すごいな」と嬉しくなりました

・・・そのワークの帰り道、私はその事を一緒に行った友人に話したのですが、その友人から返って来た言葉は「私はがっかりした」というものでした
ちょっとビックリ
な んで???と思って「なんで?」と訪ねると、彼女曰く「私はああいう事をしている人は、どこか自分と違う超越した人であって欲しかった」「悩んだり落ち込 んだりしない、悟った人であって欲しかったんだよね」「あれを聞いてがっかりしたし、つまらないなと思った」と・・・

彼女は幼い頃からずっと親しくしていた友人で、よく考えると確かに様々な意見が食い違うものの、どこかでいつも同じ感覚で学びを得ているような気がしていたのです
そのフィルターが外れた瞬間でした
そして、「ああ、世の中にはそういう感覚の人もいるものなのか」と、私にとっては衝撃でしたが、自分と違う視点でものを見て感じる人がいる事を知る良い機会でした

彼女自身がその後に続けた言葉にあったように、彼女は「グル(導師/ヒンズー語)」を求めていたのです
「神のような、自分とは違う存在」

私はそのような事は思った事もなかったので、ある意味ではその感覚が新鮮でした
新鮮ではありましたが、同時にそんな存在を求めてどうするの?という疑問も生じ、彼女に尋ねると「私はそういう風じゃないと尊敬したり言葉を受け入れたり出来ない」との事

彼女が真剣に何かを求めているのは尊重したいと思いましたが、同意は出来ませんでした

私は「やっぱたまに落ち込むよね」と言って笑っているような普通の人が、紆余曲折がありながらも自分に向かい合い、自分を知って成長し何かを見出す方が受け入れられたのです

今になって見ると、やっぱり私は「普通の人派」だなと思います
様々な事を経て、以前よりも沢山の事を知りたくさんのものを視るようになった今でも、です

何よりも私自身が、あたかも超越した者のように思われる事がある今であっても、やっぱり自分は実に普通の人でしかありません
「高尚な素晴らしい人」にはなっていないし、ちょっと不思議な世界に詳しい普通の40過ぎのおばちゃん(おねえさん?)です

もしも誰かが私をグルのように思いたいとしたら、丁重にお断りするか笑い飛ばすか・・でしょう^^;

以前、私の師匠が笑いながら言っていました
「グラウンディングをしっかりしておきなさい 現実を良く見ておきなさい じゃないとうっかり私を拝んだりするはめになるわよ」

当時、私は何故彼女が普段「下ネタ好きの明るいアメリカンおばちゃん」として振る舞っているのか良くわかりませんでした
私は数年の関わりの中で、彼女が偉大なヒーラーらしい事を語ったのは数回しか見ていません(いつだって素晴らしい事を教えてくれていたのですが、「偉大なヒーラー」らしい様子ではなかったので)
その中でも本当に一度だけ、感動して涙を流しそうになった瞬間がありました
彼女がいつも心の中にあるのであろう事を「うっかり」熱弁してしまった時です

生徒達があまりにも気を抜いていた時に、彼女は一人一人の大切な存在とその可能性について叱咤するように訴えたのです
「あなた達一人一人が変われば世界が変わるんですよ!」と

わずか数分の事でした
私としては「いつもこういう話をしていればいいのに」と思ったのですが、彼女は聞いている生徒の感動に打ち震える様子と部屋の雰囲気を察して、話を元の感じに戻し軽く下ネタ等を交えて休憩時間に持ち込みました

生徒達からしたら「待ってました!」という瞬間だったと思います
ようやくこの先生が偉大なカリスマを発揮してくれた・・と
しかし彼女はそれを避けたのです

今なら分かりますが、彼女を崇拝する生徒などを作っても全く意味がないからです
そして、彼女はともするとそのような事が起る事を(経験かもしれませんが)良く知っていたのでしょう

彼女がいよいよ日本でティーチャーを養成するという事になった時、私も幸いにそのうちの一人に選んでもらえました
その時に彼女が言っていた言葉を私は忘れられません

「よ く私の所に来て『私はこういう事を学んで来ました 私の先生は●●でとても素晴らしくて・・』と自分の先生の自慢(虎の威を借る・・?)をする人がいます    私はいつもそういう人に出会うと聞いてみたくなります あなたの先生は一体何をあなたに教えたんですか? 自分が素晴らしいという事ですか? あな たの先生は、あなた自身が如何に素晴らしい存在なのかを教えてはくれなかったのですか? と」
「私はただの教師です 私の仕事は生徒の能力を伸ばし育てる事です 私以上の能力を持った人を育てられた時、私は私自身をとても誇る事が出来るでしょう」

この言葉と姿勢は、これまでの私と、クラスを開こうとようやく動き始めた私の指針になっています

人は(多分)一足飛びには悟ったり聖人のようになったりは出来ないと思います
・・・中にはそういう方もいるかもしれませんが、私はそうではありません
様々な状態や出来事を体験して、少しずつ世の中(宇宙やその宇宙のある宇宙に存在する物事や人の心を含む)が見えて来ました
夢のような超越体験が必要だったわけでもなく、普通にこの地球上の出来事や身近な事の中に沢山の答えがありました

別に悟りを開いて素晴らしい聖人になったわけではないので、今後も沢山の学びがあって挫折もするかもしれません
40 過ぎた頃から多数の人が思う「生き続けるのって大変」「なんか生きるの疲れた」という思いは私にもあります(注意:自分の力で生きる事をし続けた人が感じ る方で、未だ自分で生きる事を体験していない人が感じる方ではありません 同じような感覚と苦しさであっても内容に雲泥の差があります)

ただ、自分が知った事を未だ知らない人たちに教える事は出来るようです
私が知った事を知りたい人が沢山いて、各人が知りたい事を知る術を私は知っています
いつかみんながその術を知り、自分の疑問を解き答えを見つけ出し改善する時間を短縮出来たら良いなと思います

 

 

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